イエッサーッ ビッグエッグサーッ

たとえば、ゾリンゲン星人の外装が真っ二つになるところの「パカ…」は久我さんの「神山よ 当ててやれ 俺のように優しく…」の時の擬音のパクリだとか、そういうことはどうして誰も指摘しないのだろう。ちゃんとパクったのに。
フロレ星人の「あなたが長のようね」だって勇次郎の「キサマが長か…」で、そうだと分かるように原稿提出時は「おさ」じゃなくて「ちょう」ってルビふったぐらいなのに。
檎桐がキングカイザー100世の手紙を読むシーンだって、パタリロの「ヘタな字だなあ」「ほっとけ!」「えー…わら…わか…」「わたくしことパタリロは!」のパクリなのに、ってこれ何巻のどのシーンだったか忘れたけど。


ここで論理の飛躍をします。
こういうことだからパクリ指摘厨はくそパクリ漫画家にすら舐められて、世の中からパクリが消えないのだ。
こっちはちゃんとやってるんだからもっとちゃんと気づけ。余すことなく、かつ正しく指摘しろ。
絵に関して言えば「トレス」「模写」「もう見ないでも似る」の区別、これをちゃんとつけよう。つかないなら目が悪いので黙っていた方がいい。誤用カッコ悪い。
例を挙げよう。
ぼくなどは特に派手に叩かれた経験もないが、やはり板垣恵介作品との演出手法の酷似から、性質の悪いパクリ漫画家だと思っている方は多いことだろう。大当たりである。ネット上をちょっと回るだけでそういった評価は散見するし、たしかに、まあこれは言うまでもないことだが、ぼくはこの板垣漫画というものが好きで好きで、ちょっと中毒みたいなところがある(by獏先生)。10代の頃から、あの衝撃的な人体動作のデフォルメ、アクションのリズム感を舐めるように読み尽くし研究してきたのだ。似ないわけがない(「似ないわけがない」と「ニライカナイ」は似ている。「蜷川実花」もちょっと似ている)。
だからこそ、間違って「トレス」とか「模写」とか書かれると訂正したくなる。言っておこう。別にシーンやコマごとに真似なんかしなくとも、いくらでも似るのだ。絵だろうと台詞だろうと、擬音だろうとコマ割りだろうと。
ここで表現したい迫力の種類はこれだ――この場合、先人たちはどういう手法で表現していたろう――ああ、あれだ――あの場面でああいう迫力を俺が受け取ったのは、あそこがああなっていたからだ――そういう、抽出の作業が十分に済んでいるならば。
船上でドイルが柳に飛び掛かるその影が背後のコンテナに大きく映る、紙面を横倒しに使った構図なんか最高にカッコいいので、いずれ似たようなことをしてやろうと思っている。でもその際、わざわざバキの16巻を引っ張り出すことはしないだろう。自慢できることかどうかは知らんが。
AAになって誰でも見れる有名シーンから分かる魅力なんてものは、本質じゃない。どんなシーンでも本気で読めば演出の教材になるのだ。久我さんはそうそう大口を開けて笑わない人だ。それが神山さんを諭す時、「パカ…」と卵を割るような音とともに開く。「ニヤァ」でも「ニマァ」でもなく「パカ…」。普通、使わない。強いて言えば呆然として口をあんぐり開ける時か。それを、不敵な笑みに使う。不気味さに間抜けさが同居するこのシークエンスの存在が久我さんの、ひいては神山VSチャック戦の迫力を大いに増している、と思えない人は鈍感である。


パクリ指摘は漫画受容におけるひとつの文化であると思う。
盗用を告発して悪を懲らそう、人を吊るし上げて哂おう、とにかく嫌いなので難癖をつけてでも叩こう……動機はどれでもいい。ただ、文化であるなら洗練されていてほしい。鬼の首を取る時はカッコよくなきゃダメということなのだ。
なんで突然こういうことを書いたかというと、別に何か嫌なことがあったわけじゃなく、今月日記を書いた日数が少なかったから最後に長文でも書こうかと思ったけどマジで話題がなかったからです。ユーザーフレンドリーなエントリになったのではないかと満足している。何のユーザーだ。知らん。